なぜ私は、人と組織の仕事をしているのか。返せなかった恩を次へつなぐ

こんにちは。あきばやコンサルティングの秋葉慎太朗です。
研修や組織開発の仕事をしていると、「なぜこの仕事を選んだのですか?」と聞かれることがあります。
「人が好きだから」「組織に興味があるから」という答えも嘘ではないです。
しかし、それだけでもありません。
実は私にはずっと直接返せないままでいる恩があります。
若くして、40歳で亡くなった恩師への恩です。
この記事では、自分がなぜ今の仕事をしているのか、少し振り返って書いてみたいと思います。
きれいな話にはならないかもしれませんが、そのままを書いてみたいと思います。
返せなかった恩を自分の生き方で返したい
会社員時代に、私を助けてくれた上司がいました。
詳しい経緯についてはここでは書きません。興味がある人は私のプロフィール、もしくは初期の記事を読んでみてください。
あの時期にその方がいてくれたことが、今の私にはずっとどこか残っています。
その方は40歳と、若くして癌で亡くなりました。
直接お礼を言う機会はもうありません。
何かを返すこともできません。
ただ、その方は私の生き方を大きく変えるキッカケを与えてくれました。
私は自分が立派に生きることで、その恩を少しずつ返していけるんじゃないかと勝手に思っています。
「遺志を継ぐ」とか「約束を果たす」とか・・・そんな綺麗な話でもないですね。
もっと個人的で勝手な気持ちです。
自分が今、誰かの仕事や人生に少しでも良い影響を与えられたとしたら、それは過去にもらったものを次の誰かへ渡せているのかもしれない。そういう感覚が、今の仕事を続ける根っこです。
当時は仕事に何かを吸われているようだった
会社員時代、最も苦しかったのは一度目のメンタル不調(適応障害)になった時期です。
暗いトンネルから抜け出せないような感覚でした。
会社には半年ほどお休みをいただき療養しましたが、その後も長い間付き合うことになります。
当時はなんだか世界から嫌われているような気がしていました。
平日に休めているわけで、行こうと思えばどこにでも行けたわけですが、疎外感がすごい。
どこにいても「お前はなんだ?」と常に問いかけられているような感覚で休まる気はありません。
言葉にするとそうとしか言えないような理由のない息苦しさでした。
仕事から栄養をもらうどころか吸われているような感覚でした。
(そもそも、仕事から栄養をもらうという感覚は稀有だと思いますが笑)
朝が来るたびに少しずつ削られていく感じ。
復帰後も職場に着いたとき、すでにもう疲れているような状態が続いていたと思います。
自分の人生って何のためにあるんだろう、ともよく考えました。
原因はひとつではなかったのですが、ある意味自分自身を見つめ直す最初の機会になったんじゃないかと思います。
仕事のやり方、職場の空気、自分自身の今後、いろいろなことが重なっていました。
職場の誰かが悪かったわけでも、会社が間違っていたわけでもなく、ただあの時期の自分には、どうにも折り合いをつけられない何かがあったんだと思います。
それでも仕事に救われた瞬間があった
あの頃を振り返ると、苦しかったことばかりではなかったとも思います。
大きな工事が終わった後に、施工会社の方から「また一緒に仕事をしましょう」と声をかけてもらったことがありました。現場の方から「秋葉さんがやってくれて助かりました」と言ってもらえたことにも、救われました。
感謝の言葉をもらえるのは、何よりうれしいです。今もそれは変わりません。
あの頃を今の視点で解釈するのは難しいですが、振り返ると、仕事そのものが嫌だったというよりも、自分の存在意義を感じられない状態が苦しかったのかもしれません。
誰かの役に立っていること、自分が動いたことで何かが前に進んだこと、そういう感覚がある時には、仕事には喜びもありました。
今の仕事に携わりながら、あの頃のことを思い出すことがあります。あの苦しさが今の自分をつくったのかな。
あの感覚を知っていることは、今の仕事に少し関係しているかもしれないと思うことはあります。
会社を辞めたのは未来の自分が見えなくなったから
私が退職を決めた理由は単純ではなかったですが、大きく感じていたことがあります。
このまま働いていった先の、自分の成長が見えなくなったことです。
「こういう大人になりたい」と思える上司が、身近に見当たらなかった。
後になって外の世界から見ると憧れられる人はたくさんいたんですけどね。
でも当時の私には、その世界からの視点がありませんでした・・。
社内政治とうまく付き合っていくことが、これからの仕事の主戦場になっていくような感覚があって、それがひどく窮屈に感じられました。
絶対に悪いことだとは思わないのですが、自分が向かいたい方向とは違いました。
自分の裁量で仕事をしたい、自分の責任で自分の道をつくりたい、成果がそのまま自分に返ってくる世界に行きたい、という気持ちが少しずつ強くなっていったんですね。
そして正直に言うと、青天井の給与にも魅力を感じていました。
そんなに簡単じゃないと、あとから知っていきましたが(笑)。
崇高な使命感だけで独立したわけじゃないですし、今の理念が最初から固まりきっていたわけではないです。
自由への憧れもあったし、少し・・いやかなりの欲もありました。
「あっきーで良かった」と言われる仕事
独立してから主に研修や組織開発の仕事を続けています。
一番うれしい瞬間は何かと聞かれたら、「あっきーに会えて良かった」「あっきーで良かった」と言ってもらえた時です。
研修のアンケートスコアが高かったとか、研修が好評だったとか、そういうことも嬉しいです。
でも、それよりも関わった組織が少し明るくなった、関係性が前向きになった、チームが主体的になってきた、という変化がなにより嬉しいですね。
時間をかけて、寄り添い、たまに向き合い、共に成長していく。
その過程に関われることが、今の仕事で一番うれしいことです。
私が人を変えているとは思っていません。変わっていくのは皆さんです。
ただその過程に少し関わりながら、「あっきーで良かった」と言ってもらえる。それが、今の仕事の楽しいところです。
会社員時代に感じていた「誰かの役に立っている感覚」が、今の仕事の中に確かにあります。
あの頃に、感謝の言葉に救われていた自分と、今の仕事が静かにつながっているような気がします。
組織はそろそろ変わらなければいけないのかも
今、さまざまな組織に関わらせてもらっていますが、組織のあり方が古い概念に凝り固まっている部分があると感じることがあります。
昔の考え方がすべて間違いだったとは思いません。あの時代なりの合理性があったし、それで成果を上げてきた組織もたくさんある。
ただ、働く人の価値観は変わってきています。会社との関係、仕事に求める意味、キャリアの考え方、どれも以前と同じではありません。
そうした変化に、組織側がまだ追いついていない部分がある。そのままでは、働く人から見放されてしまうと思っています。
組織のあり方も、新しくしていかなければ人から見放されてしまうと思っています。
変化は一朝一夕には起きません。
古い考え方を変えるのも簡単ではありません。
でも、一人ひとりの意識が変われば、絶対に組織は変わっていく。
特に、トップ層の役割は大きいと感じています。学び続けること、社員の声に耳を傾けること、言葉だけでなく自分自身が見本を示すこと。それができているかどうかが、組織の空気を決定的に左右します。
強い言葉で言うつもりはありませんが、そこが変わらないと、どんな施策も浸透していかないと思っています。
10年後は成田から羽田まで
10年後にどんな状態をつくりたいか、と聞かれたら?
少なくとも、成田から羽田までの空港関連企業で働く人たちが、愉しく働けていることが当たり前になっていてほしいです。(全国にもっともっと広めていきます
ここでいう「愉しく働く」は、毎日笑っているとか、仕事がラクとか、そういう意味ではないです。
自分の仕事に意味を感じられること、自分の願いと仕事がどこかでつながっていること、周囲と信頼関係があること、自分の存在意義を感じられること、仕事を通じて少しずつ成長できること、そういうことが重なった状態です。
私は11年間、成田国際空港株式会社で働いていました。
空港という場所で働く人たちのことが、今でも頭のど真ん中にあります。
だから「世界中を変えたい」という前に、まずそこから始めていっています。
そして最後に、恩師の話に戻ります。
恩師に直接恩を返すことは、もうできません。でも、自分が立派に生きること。誰かの仕事や人生が少し良い方向に向かうことに関われること。それを積み重ねていけば、いつか少しくらいは恩を返したことになるんじゃないか、と思っています。
私は勝手にそう思っています。
返せずにいる恩を、私が立派に生きることで返していけるんじゃないかと、勝手に思っています。今の仕事を続けているのは、それが大きな理由のひとつです。











